BLOG結珠(ゆじゅ)のブログ

結珠だより第4号(夏至号)

2020年06月20日

会員向け「結珠だより」を年4回発行しています。

今回は夏至号。

今週末は天敵日・一粒万倍日・夏至・新月・日食と、エネルギーが高まる日だとか、開運日だとか、世間で言われているので、いつもは紙でお渡ししていた結珠だより(第4号)表面のみ、こちらにもアップしてみました。

 

今号は、コロナ・ウイルスの出現で、感じていること、私の考えるヨーガ的な概念を掲載してみました。

 

<普遍の原理>

 私たちの身に起こることは、すべて普遍の原理にかなっています。

普遍とは、真実・真理。

 もともと人間界にやってくるはずではなかったウイルスが、人間の都合による自然破壊や侵略のもと、この人間世界に入り込み、これまで私たちが多くの生き物の命を奪ってきたように、今度は多くの人間の命の代償を強いられることになりました。すべては、因果律・因果応報で、普遍の原理です。

 

 こうした背景には、モノの大量生産、大量消費、安い農畜産物の大量生産や輸入、消費であったり、知らず知らずに私たち一人一人が加担していることに目を背けてはいけません。

 
 話を戻して、こうした普遍の原理だとか、因果律は、一切のものは何らかの原因から生じた結果であり、原因がなくては何ものも生じないという原理で、宇宙や自然が創造されたことも、普遍の原理です。


 

 こうした、宇宙や自然といった大いなる存在を敬う心は、日本人には「お天道さまが観ている」とか「万(よろず)の神」とか「自然への畏敬の念」など、どこにでも神様が宿るというような、概念があるように思います。

 日本人は、仏教国でありながら仏陀を崇拝しているようにもあまり感じません。例えば、キリスト教徒におけるイエス様であったり、イスラム教徒におけるアッラー神であったり、こうした宗教の心のよりどころは、唯一の神(一神教)の存在があります。

 

 ヨーガにおいては、宗教ではありませんので、唯一の神の存在がいるわけではありません。日本人の概念や宗教感と似ていて、万物に神が宿るとか、大いなる大宇宙(お天道様のようなイメージ)を感じる感性築きます。

 

 

 

 この大きな大宇宙の中に満ちるさまざまな生命、今回のコロナ・ウイルスもその一つです。この、目に見えない小さなたったひとつのウイルスの生命が、全世界を脅威に震わせました。

 

 小さなコロナ・ウイルスが全世界を変えたように、「私という小さな生命」も「大宇宙に満ちる生命」と結びついていることは、普遍の原理・真実で、こうした感性(※)を築くことが、ヨーガの究極の目的でもあります。

※宇宙に満ちる生命原理(ブラフマン)と個の生命原理(アートマン)は同一であるという感性 (梵我一如ともいう)

 

 さて難しくなりましたが、こうしたことは、自分の身に置き換えて考えてみると理解しやすいです。

 

 先日の朝ドラで、オペラハウスでの公演が決まってだんだん輝いていく彼女に対し、小さなカフェで個展をを開くことになった画家の彼が、自分がどんどん、みじめな気分になっていく、というようなシーンがありました。彼のように、苦しく感じるときの多くは小さな「私」にフォーカスしていますから、そんなときは、自分の小さな世界にこだわっていることに気づくことです。そしてその枠を外すことを探して、小さな「私」から離れ、少し大きなところと心を繋ぐことです。

 

 例えば、海や空を見上げたり、自然の中に入ったり、芸術を鑑賞したりすると、気分が和らぐのは、大いなる自然や宇宙の存在と繋がるからです。こうした教えが、ヨーガのウパニシャド経典に、パラーバクティ/大いなるものへの祈念として、表現されています。

 

 

 いきなり宇宙と言われてもピンとこないかもしれませんが、ひとつ大きなコミュニティ、地域や趣味の仲間、ボランティアなど、少しずつ大きなコミュニティの中に自分を置くと、小さく感じていた自分が、大きなものの一部であることに気づき、見える世界が変わります。

 

 コロナをきっかけに、自分の存在は、全世界に繋がっている。だから自分の消費行動をよく観察する。

そして、すべての命が尊いように、私の存在自体も尊いのだ、という再認識が必要なんだと思いました。

 

kumiko